自伐型林業への道
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トピックス2015/5:“架線設置体験”から“搬出”まで

 新しい年度になって少しはサイトのページ追加が出来るかと思っていたが、まだ落ち着かず、溜まっている情報発信が出来ないでいる。それでも、活動はし ているので、ちょっと合間を見てアップしてみた。


5/5:男の子の日には山仕事『架線設置初体験』
5/25:追記---『搬出』

 5/25追記:
 平日に出られる3名で搬出を行なった。K本さんが集材機の操作、T渕ちゃんが山から出て来た材を土場に積み上げる作業(K本さんの腕の具合が良ければ集材機操作と両方だが)、私が山の上で荷掛けを担当した。其の模様を下記の記事内に追加する。と、ともに勘違いしていた(本来分かっていたはずが、素人丸出しで適当に書いてしまった)名称も、サラリと書き換えて素人である証拠隠滅をしておく事にしよう(僕らが目指すのはプロの作業員ではなくて、山に棲める スーパー素人。昔からの山のオジさん達の知恵と技術と経験を、最新の小規模機器を用いてアウフヘーベン出来ないかとジタバタ...?)。
  後の予定としては、もう一山分の材が先柱の下の方にあるので、後日搬出することと、また土場に出してある材を市場に持ち込むので、何の位の売り上げになったのかを書いてみたいと思っている。サイト管理者:高濱

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 五月晴れとは正にこのこと。爽やかな薫風が吹く山の中での作業は楽しい。それも仕事ではなくて研修?というのは一番楽しいことではないだろうか。島根県鹿足郡吉賀町には 多くの若い移住者が居るが、有機農法だけでなく山への取組みも行なっている人が多い。今回は吉賀の若者たちに混ざって山仕事だ。
 その、架線を張る現場である吉賀町柿木村は明治の昔から独立独歩できたところだが、 10年ほど前の2005年10月に六日市町と合併して吉賀町となった。柿木村は30年以上前から村全体で有機農法に取り組んでいる意識レベルの高いところ。その為に若い移住者が多い。


  サイト管理者は、11年前の2004年の5月半ばに、益田市の知人(当時はお客様)宅が新築するに際して、地面のツボに大量の炭素を埋設して地磁気を整え る仕事(微弱電流を測ると地電流の電位が整う事が分かる)を施工しに飛行機で初めて島根に来た。その際に建築工事を請けた柿木のリンケンさんの田村氏とリンケンさんのバックホーのオペレータで松江から移住した方に柿木村の素晴らしさをとくと語られたので、移住しても良いかななどと思ったのが、地縁の無い島根に移住するきっかけになったのかも知れない。

 そして、4年前の春に神奈川から益田に来て、最初の3年は益田市の匹見町の山暮らし、今は昨年度の仕事の関係で津和野暮らしだが、柿木村には移住した 当初から温泉と柿木の道の駅通いで週一は通っている。
 吉賀町の移住者たちや地域の人達にも知り合いが増えて、既に柿木も地元感覚だ。というよりも、高津川流域に住むと狭い一行政区だけでは面白く無いし、美味しいものがあちこちにあるので、生活圏は益田、津和野、吉賀となり、この地域はしょっちゅう回る。そしてたまに山口側の萩、徳佐などから山口市までも足を伸ばす。海側は何処も奇麗で魚介類が安くて美味しい。津和野町の林業版地域おこし協力隊を募集した際には、一日掛けて此れの地域をグルッと回って美味しいものを食べられた人も多い。皆、気に入ってくれていた様だ。また、別ページに書かないとならないのだが、わたしが担当した時には、10名来て体験を行ない、最終的に5名(3名が26年度、2名が27年度に)が着任する事になった。
 さて、匹見町辺りだと広島市内まで2時間で行けるところもあるので、そちらも生活圏になる場合もある。何れにしても距離があるが、平均速度が高く、また信号に引っかかることが余り無いので、都市部の様に時間ばかり掛かって距離が伸びないという事は無い。

 大体、前に住んで居た匹見の山奥から益田市の駅前までは35kmあるのだが、時間は40分前後。信号は駅近辺が4つ5つ続くけれど、其の前は3つしかない。他にも点滅信号があるが、それは誰かがボタンを押さなければ赤にはならないので走行を停められることは殆どない。この距離感は全然都会とは異なり (一番近い商店“ローソン”まで25kmだった:間に信号は一つ)、長年住んで居た東京の日野市の市役所近くから新宿駅までが32km程度。それも googleで検索すると、中央道を使って1時間40数分となっている。渋滞・行列が体質的に合わない自分にとって、此方の地方はピッタリの地域である。
 さて、前置きが長過ぎたが、その柿木村での架線搬出の準備の模様をお伝えしよう。自伐林家レベルの集材機を使った小規模の架線搬出なのでご参考になると思う。

 山奥には四駆の軽トラがよく似合う。  架線関連は資機材がもの凄く必要。林内作業車で運ぶ。

 

 柿木の山の学校のK本さんが、若い人向けに架線設置の講習をやってくれると聞きつけ、役場のT渕ちゃんに、「そんな楽しい事するのに、誰か忘れてはいませんか?」、と電話をした。『ゴメンナサーイ、全然思いつかなかったぁ!』、と冷たいT渕ちゃんは、研修の企画や事業のことなど自分の用事でアドバイスが欲しい時にはガンガン電話をしてくる仕事ができる人なのである。

 参加者はわたし以外は皆30歳代か。地元は役場のT渕ちゃんだけであとは移住者ばかり。鮎釣りが好きで広島から移住したT原さん、元吉賀町の地域おこし協力隊で今は吉賀町木の駅プロジェクトの事務局をやっているK林さん(元は東京の機械設計屋さん)、あとはウガンダの元青年海外協力隊で、吉賀で移住者対応や教員をやってから百姓になったY口さん(千葉出身)。みんな移住後4〜5年以上になると思う。

 T原さんには聞いていないが、K林さんも田んぼをやって作った米も味のコンテストで受賞していたりする。移住者には農と林の両方をやりたい人が多い (地元の若い人は街指向なのであまり居ない)。自分も関東に居る時から無農薬の菜園はやっていたし、匹見の山の中では少しだけだが無農薬無肥料で田んぼもやった。水が良いのと寒暖の差があるのでおいしい米が採れる。でも、狭い地域でも土壌と水、陽当たりのせいで結構味が違うのが面白い。 集落の中でも誰それのところの米は美味しいという具合。

 K本さんの山。  まずは発動機を取り付けるところから。

 

 現場はバックホウで道を付けていて相当分伐採して4m材に玉切ってある。林内作業車でも出せるのだが、若い人にも架線を教えて上げようというK本さんの気持ちで索張りを行なう事に。

 架台に針金でマウントしてから調整。  集材機のクラッチの調子が悪い。

 

 暫く使っていなかった集材機を設置してエンジンを掛けるところから始まった。

 まずはアンカーをあちこちに設置する。高所作業は安全帯を付けて。  鋼線ワイヤーを張る前に軽いリード線を索張りする。

 

 K本さんが昔使っていた手道具。   小屋も自分で建てた。外には超大きい水車がある。

 

 最初は、化繊のリード線を使って索張りをするアンカーに回して来る。

 実際は様々な細かい作業が沢山有る。  リード線を巻いてエンドレス用のワイヤーを設置する。

 

 集材機を回して、先ずキャレッジ(搬器)を曳くためのエンドレスラインを設置。

 集材機横の元柱と其の横のボッキ。なんて説明をするのか。タワーかな。括り付けてある。  やっぱり集材機のクラッチの調子が悪く、動力が切れないために分解。

 

 主索は18mmのワイヤー。これが重たい。それに巻癖がついているので扱いが悪いのである。それに切れ端の素線が散けていて痛いし。エンドレスのラインが脹れたら、そこに逆戻り止めのキトークリップを付けて主索を吊るして、160mほど先の山の上に立って居る下右の写真のアンカーのところまで集材機を 回して先端を持って行く。

 此れは先柱にした立木。岩山の上。其の手前の木にも2回巻き付けてから先柱に巻く。そしてクリップ3個で固定。  こちらは先柱のアンカー。7mくらい樹上。前日は地元の人達と呑んだため重たい主索を設置するのがきつかった。(後日:K本さんが更に 上方に設置変更)

 

 主索は兎に角重たい。昔の人はよくやっていたものだと思う。前日の夕方に、津和野町の日原地区の地元の営農法人堤田ファームに御呼ばれして可成り呑んでしまったのが間違い。索張りを舐めていたかもしれない。大抵、先柱は標高の高いところに有るのが常。立木を使った先柱の樹上に登ってスナッチブロックに 掛けたあとは、沢の脇の岩を登り主索を引き上げながら登攀。控えにする立木のところまで主索の端をなんとか持って行く。途中で、K本さんとY口君が上がっ て来たので、主索の引き上げを手伝って貰い、やっと控えの立木まで届いたので、あとは任せて戦線離脱。そして森の中で・・・ウゥ〜! っと一休み・・・

 主索はキトークリップで挟んで、エンドレスラインで曳いて先まで上げる。

 取り敢えず主索を通しただけの状態。まだ、テンションは掛けていない。

 

 線の先が元柱。控え索は、周りの3本に採って、元柱を安定させている。   主索は此処から左下の方の、25mほど奥の木に向けて伸びている。

 

 作業の当初から、必要に応じてワイヤーを編んでアイを作る等を行なう。K本さんは何十年もやっているからお見事なもの。Y口君もボーイスカウトだった のでロープワークからロープスプライスも出来るのでワイヤーの編み方も教わりながら直ぐに出来る。わたしは一回やった事が有る程度。でも、ロープのスプライスは出来る様になる必要に迫られている。12ストランドのロープを編んでエンドレスラインを作り搬出に使ってみたいのだ。

 主索の控えを採る木には養生をする。  ワイヤースプライスは必須。エビ挿し。

 

 自分的には、こんな設置の仕方で良いの?という感じのところも有ったが、その簡単なやり方でも知恵があちこちに盛り込まれていたという印象かな。

 これが主索の先でテンションを掛けて主索を張り上げるための控えの立木。まだ、主索は設置していない。主索を引き回すに際してスナッチ に通っているが、スナッチの回り止めはYの字の棒で。  その立木の控索は、左右後方の2本の立木とでワイヤーを回して棒で捻ってテンションを掛けて終わり。棒が地面に引っかかって留めている だけ。自伐林業型設置方法?

 

 三連の滑車の取り付け。これで主索を張り上げる。  手前に見えるのは主索を留めている三連のキトークリップ。

 

 三連の滑車を二つ相対してワイヤーで締め上げる。1/6の力で主索を張り上げることになるのだが、滑車同士の距離が6mは縮まっただろうか。すると 6*6mで36mは締め上げたことに。

 道上に立っている元柱に向かって見た方角の画像。

 三連のキトークリップで主索を留めている。

 

 主索が脹れたところで、キャレッジ(搬器)を取り付ける。そのキャレッジをエンドレスラインのワイヤーと接続するのに手間取る。

 エンドレスラインのワイヤー同士の接続部にUシャックルを通してキャレッジのフックに留める作業。

 ワイヤー同士の位置が遠かったので、なかなか繋がらず、一番背が高い役場のT渕ちゃんが活躍。

 

  あとは荷掛けをした材を持ち上げる為の細めのリフティングライン(荷掛け線)を設置して出来上がり。

 荷掛け器。これに分銅を吊り下げれば出来上がり。  分銅を付けておかないと下まで降りて来ない。

 

 此処まで正味一日半位になった。K本さんが教えながらであることと、足りない資機材を用意したり、具合が悪いクラッチのオーバーホールを行なったりしていたためである。慣れた人が二人居れば一日で仕上がるとの事だが、K本さん一人で設置すると四日は掛かるかもしれないと言っていた。

 土場にあった材を移動する。  K本さんの2tダンプ。はみ出しは警察に申請済み。

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5月25日:搬出作業分追記

 5/5に始めた架線の設置は、もう一日設置に費やして済ませ、やっと5/25に搬出を行なうことになった。山主であり架線技術を教えてくれるK本さん は、先般右肩の靭帯の手術をして右腕のリハビリ中につき、テゴ(助手)が居ないと作業が進まない為に、我々が行かないと実作業に入れないはずだった。ところが、我々が日常に追われている間に、先柱の主索アンカーの位置を設置を、三段梯子(6m)より上をぶり縄をつかってさらに高い位置に設定し直したりしていた。大丈夫か右腕。
  と、右腕にもならない我々、もといサイト管理者と、役場の優秀なT渕ちゃんがお仕事のお休みを頂いて研修と言う事で3名で搬出を行なった。

 K本さんに色々聞く。重たい荷を掛けた場合に、先柱と元柱の間で主索がどれだけ下がるといけないと言う話をして貰う。  この材は4m材。太さは50cm弱位だろうか。重たい材だと主索が下がり、材の尻が地面を擦るので、玉掛けの位置を調整。

 

 材の太さによって、1本だったり3本掛けだったりするが、主索が下がるので、場所によって途中にある土手や切り株に引っかかって抵抗になる場合があ る。

 材が下がって行く様子。

 主索が下がっているのが分かる。

 

 その為に、様子を診て途中で主索の張力を上げたり、邪魔になる切り株を切り落としたりした。

 此の材も太いもの。今回の搬出は全部4m材。

 主索が下がるので地面に擦りながら。

 

 これが雨で泥濘った日だと材が泥だらけになるので、作業は行わない。自伐林家的!

 土場ではT渕ちゃんが降りて来た材をトビを使って揃えて積み上げて行く。材を複数本掛けてある場合には尻の位置に差が大きいと合わせて 積み上げるのに苦労する。  途中で主索の張りを締め上げた。竹竿は、主索の縒れによって滑車同士の間の張り上げ線が捩じれるのを防ぐため。その辺りに生えていた竹 をT渕ちゃんが切って来て突っ込む。

 

 上の方で荷掛けを担当していたのだが、K本さんが搬出の事を考えて伐採、玉切りを行なってあるので、そんなに苦労しないで荷掛け作業が行えた。それでも分銅付きの荷掛け器は重たいので、横の方の材に掛けるのは結構大変。また、荷が下がって行く際には、主索やエンドレスラインの下に自分自身が位置しない様に、また主索が万が一破断して捩じれて巻きながら飛んで来ても大丈夫な山上の木の陰の場所へ避難しておくために、下げ荷の度に、山側へ登り降りすることも必要だった。

 話しを聞く時間も長かったが、9時位から休みを入れて4時半頃まで作業して土場に積み上げた市場に出す4m材が大小で50本。ダンプの 分は違う。  大抵撮影者は自分だが、たまに登場してみた。ひ弱そうでしょ? こんな奴でも道具が有れば、何とか仕事ができると言う事で、道具が大 事。

 

 まだ、山には市場に出せる太い4m材が30本以上ある。細い木や曲がり木は、2mに玉切って吉賀町の木の駅プロジェクトへ出すとの事。あとは、架線張ったまま秋まで置いて、伐木適正期に合わせて作業を再開するとの事だった。搬出作業については以上。

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 K本さんの遊び場。  餅を入れる舟を作っている。

 K本さんは何でも自分でやる。

 椎茸乾燥機。此れと同じものがもう一台ある。  燃料は薪。今時は灯油が多いが薪がエコで良い。

 

 取り敢えず、暫定版にておしまい。あとは少しずつ手直しをします。感想としては、今回の架線の設置は、横取り10m以内に伐倒した材を搬出するための小さなものだが、正直結構大変かなと思う。当然、資格は居るし技術と安全管理と経験のベースが無くしては成り立たないので、誰でもが出来るものではない。 それでも、作業路が入れられない山は幾らでもあるわけだから、架線技術無くして林業は成り立たない。

 こちら島根県西部の石見地方では、ちょっと前までは山の中の人達はみな架線搬出をやっていた。自分が昨年まで住んで居た(そして今も通っている)匹見町の石谷・内石地区では、殆どの人達が架線搬出をやっていた様だ。それも、男性だけでなく女性もやったことがある人が多い。木材だけでなく炭焼きの炭の搬出から、お札の材料の三椏なども架線で出したという。結構、それぞれの家でジグザグ架線を持っていたり、本格的に集材機まで全部揃っていた家が多い。ところが、やらなくなった途端、それらの資機材を古鉄屋などに二束三文で渡してしまったという。たまに持っている人も居るが、再度架線搬出を復活させるには莫 大お金が掛かるのがネックになる。ガッカリ。

 と言う訳で、此れからの自伐林業的には、やはり大橋先生を初めとする清光林業さんや橋本さんたちの様に崩れない作業路を高密に開設して、動力はバックホウなどの小規模のもので搬出するのがコストメリットは高いのだろう。作業路が入らないところは、林内作業車のウインチや、土佐の森の軽架線を使う事。あとは、もっと機動的に択伐するならば、ポータブルなロープウィンチがある。画一的に考えずに、フレキシブルにケースバイケースで組み合わせを考えて設計することが出来る時代になったのではないだろうか。

 ロープで架線を張って、PCW5000で下の段にある材を引っ張りだしている。  此の様な高い段差があるところで、小規模に材を出すのには設置が楽で早い。

 

 自分の様に山奥でエコに暮らしたいという立ち位置で関わっているものには、これらのポータブルで汎用性の高い牽引道具は超便利である。溝にはまったり、土手から落ちかけた車両のレスキューや、田んぼにはまったトラクターの引き出し、倒れ掛かった建物の引き倒しから、勿論薪材の搬出まで。それからPCウイン チの汎用用途である狩猟の際の大型獣の引き出しや、山岳レスキューの使用方法もある。あ、あとは地震でもし家屋が倒壊した場合にはレスキューにも使えるかもしれない。山奥で自立的に且つ助け合いながら暮らして行くには、こういった機材は役に立つ。
記:2015/5/20

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